【OAHSPE考察】新・引き寄せの術について

引き寄せの術について

ロンダ・バーン氏の著書「ザ・シークレット」には,自分の望みを叶えるための「秘密の力」について解説されています。詳細は著書を手に取って読んでいただければと思いますが,要約すれば「その状態を当然だと思うぐらい強く思い込めば,それが叶う」というものです。
まず,そのようなことが実現可能なのかについて,『OAHSPE』の観点から考察していきます。

この世界は「目に見える世界(実体コーポリアル界)」と「目に見えない世界(エス界)」があり,霊界には天使が暮らしており,高位の階級の天使は神と呼ばれ,高い知能を有しています。しかし天使は全員が善良であるとは限らず,闇落ちした天使はドルジ(またはドルジャ)と呼ばれ,その最たる存在は「悪魔」「悪霊」などと呼ばれます。
人間は出生前に,母親の中で胎児のうちに人格を帯びた霊魂が宿り,出生後の人格を形成します。しかし実体界の肉体はやがて時間経過とともに機能が低下(老化)し,やがて「死」を迎えます。その時,人間に宿っていた霊魂は天使によって抽出され,再び天界へと還されます。
これが転生の仕組みになります。

人間には,人格を形成する霊魂以外に,その霊魂を見守るようにアシャールと呼ばれる天使(守護天使,守護霊)が付き添います。天使アシャールは天界の主神に仕える天使であり,十分な教育を受けた者でなければその役目を担うことができません。
天使アシャールは自分が守護する人間が道を踏み外さないように監視し,正道へと導く役目を担っています。
天使アシャールは人間の言葉を理解したり,言わなくてもその意思を汲むことができます。また他の天使アシャールとも交渉可能であり,例えば「以心伝心」という諺があるのも,霊界の天使たちによる交渉の結果とも言えます。

引き寄せの術とは,こういった霊界の住人である天使の力を借りて,自分の意志を実行するものだと考えています。

「引き寄せの術」の正しい使い方

引き寄せの術は,神々への「祈り」に近いものがあります。
自分が何かを願いかなった場合,それは偶然なのでしょうか?それとも不可視の力が働いた結果なのでしょうか?
仮に偶然でなかったとします。不可視の力が働いた結果だとしたら,それはどんな願いに感応したのでしょうか?
もしも神々や天使がいたとして,自分の願いがよこしまなのに叶ってしまった場合,その不可視の力の源は,決して善良な神々によるものではありません。おそらく邪神の類です。そのような神に祈りをささげ,叶えてしまったら,もはや邪神や悪魔の眷属となってしまったも同然です。
従って,引き寄せの術を使って自分の願いを叶えようとするのであれば,善良な神々を頼ることだと思います。
善良な神々に捧げる願い(祈り)は,他人の幸福です。(「神への祈りについて」)
それ以外は邪神や悪魔に祈りを捧げているのと同じです。短い現世の,ほんの一瞬の事柄のために邪神や悪魔に魂を捧げるのは愚かな行為です。

引き寄せの術を使うのであれば,自分の願いではなく,他人の幸福のため「そうあるべき」と祈ることが重要だと考えます。

結論

現世で生きる人間にとって,自分の願いが実現する可能性を秘めた「引き寄せの術」は,不可視の力に頼っている時点で,真偽をきちんとわきまえた上で行使するものであると警鐘を鳴らします。
古代人は神の光を見るために,幼少の頃から頭部を前と後ろから板で挟みつけたと言います。理由は前頭葉を扁平にして常時衝撃を与えられることで,天界の光を見るためです。こういった人々は予言者と呼ばれ,古代ではあがめられていました。(OAHSPE-21『真神の書』11章-22,23)
ところが人造の予言者は,決して神々の意に沿ったものではありません。善良な神々は,非人道的な行為をせずに人々を正道に導くからです。また不可視の力が,善良な神々によるものなのか,それとも邪悪な神々によるものなのか,私たち人間にどうやって見分けられるというのでしょうか?

自分にとって都合のよい力が何の代償もなく行使できるとは思わない方がよいのです。特に不可視の力に頼るのであれば,その根底にある悪意にも注意するべきだと思います。(「悪意の本質について」)


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