【OAHSPE考察2】ヤスナ第27章(13節-15節)

13節

望ましいアフ(主)であると同時にアシャに従うラトゥ(指導者)である。
善思と善行の支配権をアフラ・マズダーに委ねる者で,その彼を貧者のために牧者と定めた。

『アヴェスタ』ヤスナ第27章 13節
引用:『原典完訳アヴェスタ ゾロアスター教の聖典』訳:野田恵剛 国書刊行会

『OAHSPE』によれば,アフラマズダは自身の王国クトゥスクが崩壊する前は,属国に在住するザラツゥストラ人を粛正していました。(OAHSPE-21『真神の書』16章-4)
この節で「善思と善行」という言葉が出てきますが,アフラ自身の振舞いをかんがみると,この「善思と善行」は似つかわしくないように思います。
しかしこの言葉はイフアマズダと教祖ザラツゥストラの会話の中で頻出する言葉であり,特にザラツゥストラは「善思と善行」の下に行動し,殉教しました。
つまり下段の一文は,「善思と善行の支配権をイフアマズダに委ねる者で,その彼を貧者のために牧者と定めた」と言うのが本来の文章だったのではないかと推測します。
ここで言う「彼」とは上段の「アシャ」であったと考えます。
「OAHSPE-20『神の言葉の書』」によれば,アシャはザラツゥストラに仕えたオアスの王でしたが,退位後,托鉢を持って貧者のために1年間の奉仕を行い,ザラツゥストラが各地を説法している間,ザラツゥストラ人を取りまとめました。
OAHSPEには記載していませんが,アシャはザラツゥストラの殉教後,残されたザラツゥストラ人を取りまとめ,後の時代に引き継いだものと思われます。アシャはイフアマズダとも会話し,導かれていました。上段の一文の主語はイフアマズダであり,「(イフアマズダは)望ましいアフであり,アシャの求めに答えて導くラトゥ」であると解釈できます。

この13節の本来の姿は,以下であったと推測します。

望ましいアフ(主)であると同時にアシャに従うラトゥ(指導者)である。
善思と善行の支配権をイフアマズダに委ねる者で,その彼(アシャ)を貧者のために牧者と定めた

14節

アシャは最高の良きものである。
それは望み通りに望む者のものである。
アシャはアシャ・ワヒシュタのものであるから。

『アヴェスタ』ヤスナ第27章 14節
引用:『原典完訳アヴェスタ ゾロアスター教の聖典』訳:野田恵剛 国書刊行会

ゾロアスター教ではアムシャ・スプンタと呼ばれる七柱の神がいます。「ヤスナ」第1章の補注(「『原典完訳アヴェスタ ゾロアスター教の聖典』訳:野田恵剛 国書刊行会」)をまとめると,アムシャ・スプンタとは次のような神々で構成されていました。
・アフラ・マズダ(最高神)
・ウォフ・マナフ(善思を司る神)
・アシャ・ワヒシュタ(善良を司る神)
・フシャスラ・ワリヤ(金属を司る神。「望ましい支配権」を意味する)
・スプンター・アールマティ(大地の守護神。アフラ・マズダーの妃。「恵み深い献身」を意味する)
・ハルワタート(健康を司る神)
・アムルタート(不死を司る神)

教祖ザラツゥストラが生きた時代,イフアマズダに妃がいたという記載は『OAHSPE』にありません。このアムシャ・スプンタと呼ばれる七柱の神々は,アフラマズダがイフアマズダの名を騙った後に構成されたものと考えられます。

そもそも『OAHSPE』の教義は,「人間が仕えるべき神は創造主のみ」であり,それは一貫しています。しかし14節では「アシャはアシャ・ワヒシュタのもの」と記されており,『OAHSPE』の教義と相反しています。
アシャが誰かのものであるとするならば,本来は創造主オーマズドのものなのです。
この1節が古代アヴェスタ語で書かれているのであれば,本来の文章は次のようなものだったと推測します。

アシャは最高の良きものである。
それは望み通りに望む者のものである。
アシャは(創造主)オーマズドのものであるから。

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