【OAHSPE考察2】ヤスナ第30章(1節-11節)

3節

さてその二霊は眠りによってもともと双子で,
心と言葉と行いにおいてその両者は良いものと悪いものであったと言われている。
この二つのうち善人は正しく区別したが,悪人はそうではなかった。

『アヴェスタ』ヤスナ第30章 3節
引用:『原典完訳アヴェスタ ゾロアスター教の聖典』訳:野田恵剛 国書刊行会

この節は「二霊」が何を指すのかがよく分かりませんが,『OAHSPE』の教義に従えば,光の霊魂と闇の霊魂を指しているのだと考えます。
光と闇の霊魂は,「良いもの」と「悪いもの」と2行目で記されていますが,この世界の人間にとって「善」と「悪」は存在するものの,創造主にとって「善」と「悪」ではなく,ただの状態に過ぎないと言います。

ザラツゥストラはイフアマズダにたずねました。
「悪は悪であり,善は善ですか?」
イフアマズダは言いました。
悪とは人間には悪だが,オーマズドには悪ではありません。善は人間には善でも,オーマズドには善ではありません。
オーマズドの前では2つの状態があるだけです。
悪とか善とかではなく,成熟ripe未熟unripeかです。
オーマズドにとって,人間が悪と呼ぶのは『未熟』であり,善と呼ぶのは『成熟』なのです」

    OAHSPE-20『神の言葉の書』9章-17

    『OAHSPE』の教義に従えば,光は「成長」であり,闇は「停滞」となります。善とは,いったい誰にとっての「善」なのか,ということです。
    この世界における「成長」とは魂(精神,霊魂,心)の成長であり,魂が成長することが「善」となります。自分の中の正義が「善」ではありません。その魂は他人を思いやり,愛を込めて,世界の発展のために叡智を尽くし,貢献することで成長していくのだと思います。そして一人の力では叶えられなくても,多くの人と協力し,協調することでより大きな仕事をこなせます。
    悪とはその逆の行為だと思います。自分のことだけを考え,愛がなく,世界の発展を顧みず,何も貢献しない,そのような行動ばかりしていると魂は何も成長しない,すなわち成長が停滞した状態となります。
    この節の2行目で「その両者は良いものと悪いものであった」とありますが,光は「成長因子」,悪は「停滞因子」であり,成長する=善,成長しない=悪となります。単純に光=良いもの,闇=悪いもの,とはなりません。
    この節の3行目で「善人は正しく区別したが,悪人はそうではなかった」とありますが,これも『OAHSPE』の教義からは外れており,そもそも善人とは何を行えば善人になれるのか,そして悪人とは何を行ったらそう呼ばれるのか,その定義が曖昧なのがこの節の問題点になります。
    魂を成長させている人間が「善人」だとしたら,その善人は果たして光と闇の霊魂を区別しているのか,と言えば,そうではないと思います。魂を成長させるのに,光と闇を区別する必要はまったくないからです。他人を思いやるのに光と闇を区別する必要がありますか,ということです。
    このように,アフラ・マズダーの教義は創造主の教義から外れてしまったため,肝心なところが全て曖昧になってしまったのが問題点の一つだと考えます。

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