【OAHSPE考察2】ヤスナ第43章(1節-16節)

16節

さて,アフラ・マズダーよ,このザラスシュトラは
あなたにとって最も活力を与えるマニユを選びます。
アシャが肉体をもつものとなり,生命力によって力をもつようになるように。
アールマティが体表のような[輝く]支配のなかにあるように。
善思にもとづく行いによって褒美を与えるように。

『アヴェスタ』ヤスナ第43章 16節
引用:『原典完訳アヴェスタ ゾロアスター教の聖典』訳:野田恵剛 国書刊行会

本節は,本章の結句になりますが,主旨は5行目の「善思にもとづく行いによって褒美を与えるように」にあります。
結局は,これだけ善行をしたのだから,何か褒美がほしい,ということを言っているわけです。
そもそも善行は褒美をもらうために実施するものではありません。人間生来の『心(=光)』の顕れであり,善行を重ねれば自分の心が磨かれ,光の強度が増していくため,自発的(もしくは自然的)に行うものです。
打算的な善行は偽善に他ならず,偽善では「心」の成長は期待できないのだと思います。

古代中国の諸子百家に「孟子」と「墨子」がおり,前者は性善説を唱え,後者は性悪説を唱えました。
OAHSPEの教義に照らすと,孟子の性善説の方が正しいです。何故なら創造主は人間を「善」なる者として創造したからです。
アフラが説いたような「褒美のための善行(=偽善)」ではなく,人間本来の性(=善性)に従って善行に励むことが大切であり,そもそも,それが本来の人間の在り方なのだと思います。

余談ですが,性悪説を唱えた墨子はその著書で戦争の技術について触れています。戦争は創造主が忌み嫌うところです。つまり誤った説(性悪説)を唱えた墨子は,正義の道をも踏み外していったわけです。

コメント