【OAHSPE考察2】ヤスナ第46章(1節-19節)

4節

しかし,不義者はアシャの担い手である牛が村や国で
栄えるのを邪魔します。
彼らは自分の行ないに満足せず,呼ぶに値しない者ですから。
マズダーよ,そのような者たちから力や命を奪う者は
正しい教えの道を牛たちに用意する者です。

『アヴェスタ』ヤスナ第46章 4節
引用:『原典完訳アヴェスタ ゾロアスター教の聖典』訳:野田恵剛 国書刊行会

本節では,アフラマズダーの救済を待ち望んでいるにも関わらず,「不義者」がアシャ(正義)の担い手である者たちが栄えるのを邪魔することを嘆いています。
そしてこのような「不義者」から「力や命を奪う者」は正しい行いだとここでは言っています。
但し,この部分は創造主ジェホヴィの教えに完全に反している部分です。創造主ジェホヴィはいかなる場合も人間の命を奪うことを禁じているからです。
そもそも「正義」とは立場が変われば「不義」にもなります。そのような不確定要素を抱えた正義を掲げても,誰の不義をなじるというのでしょうか?
正しいと思うことを実行しても,自分の正しさを他人に強要するとその先に待っているのは争いなのだと思います。但し,自分が正しいと思って他人をさとすことは「他人に強要する」ことになるのかという疑問は残ります。
例えば他人を諭したつもりでも反発されることはあります。これは「強要」したことになるのかというと違うような気もします。
この場合,争ってでも自分の正義を押し通すのか,それとも争いを避けて身を引くのか,どちらかの判断が迫られているのだと思います。
アフラマズダーの教義では,自分の正義を押し通す方を選択し,それは間違えた選択だと考えます。

よく「引いたら負け」という言葉を聞きますが,そういう言葉を吐く人ほど出世していきます。しかしそういう人ほど争いの種を植えていきます。
そう考えると,俗世間における立身出世のためのアフラマズダーの教義では霊魂の成長は望めないと考えます。

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