【OAHSPE考察2】ヤスナ第51章(1節-22節)

22節

かつて世に存在したものや今存在するもの,
アシャに従ってそのうちの誰を祭れば,私にとって最良のものがあるかを
アフラ・マズダーは知っています。
私はそのものたちを彼ら自身の名で祭り,称賛をもって彼らに近づきましょう。

『アヴェスタ』ヤスナ第51章 22節
引用:『原典完訳アヴェスタ ゾロアスター教の聖典』訳:野田恵剛 国書刊行会

本節は信仰者にとってどの神を祀れば,信仰者自身の願いを叶えることができるかが記されており,それをもって本章の締めとなっています。

本章は全体を通して「奉仕した分だけ報酬が得られる」という報酬主義が明確に記されており,アフラ自身の理念が非常に分かりやすく伝えられています。
アフラが創造主ジェホヴィに反旗を翻した当初の想いは,ダンが訪れる度に地球で暮らす人々が闇の中で彷徨うのを救うためでした。そのために自家発電のように地球だけで光を供給できればこの問題は解決すると考え,それがジェホヴィへの反旗の動機となりました。
そもそも光とは,宇宙の中心(涅槃)からもたらされる「不可視」の光であり,人々の正気を保つものだと考えています。光がもたらされる間は心は安定し,生物も十分に成長します。ところがその光が届かなくなる領域というのが「偉大なる蛇」と呼ばれる惑星の通り道の各所にあり,そこを通過する時は光が届かなくなり,つまり闇が訪れ,人々は正気を保てなくなり,心が弱い人は簡単に闇落ちしていまいます。
闇落ちすると,私欲を優先したり,すぐに激高して他人を害したりします。地上は戦乱となり,多くの血や涙が流れます。アフラはそれを救いたいと思い,この解決策として地球に光を創ろうとしました。
その光とは,地球に最高神を創出し,その最高神が光の源となることでした。
この考えはアフラの後も,多くの神々によって実行されます。

地上で暮らす人々が,上天や涅槃の存在を知らず,地球だけが宇宙の中で唯一の人類が生息する星であり,地球の最高神が絶対神だと思い込んでしまった場合,「なぜ自分はこんなに苦しんでいるのに,神は助けてくれないのか」とか,「自分はこうなりたいのに,なぜ神はそれを叶えてくれないのか」と思い,神を非難します。
もともと,ジェホヴィの世界では,光と闇をあえて存在させていました。理由は「人間はいたみを知ることで成長できる」からでした。闇の中でも正気を保つことで光は強度を増していきます。光の強度が増していくと,霊魂の階級も上がり,より上層の霊界で暮らすことが可能になると言います。
この光は,誰かのために奉仕することで高められます。決して何かの報酬で奉仕するものではありません。
この点がアフラの教義,つまり報酬主義と,ジェホヴィの教義,つまり無償の愛の違いです。アフラの教義では光の強度が決して高まらないのです。
しかし地上で暮らす人々にとって,アフラの教義は分かりやすく親しみやすいです。本章と同じく,「善行に励めば報酬がもらえる」と説かれれば,人々は納得し,善行に励むことでしょう。しかしそれで報酬がもらえなければ神を恨むことでしょう。
確かに管理された社会であれば,それは正しいのかもしれません。しかし自発的に善行に励める世界にとって,それは霊魂の成長を妨げるもの以外のなにものでもありません。

本章で説かれるような報酬とは関係なく,自発的に善行に励めるようになることが最も大切なのだと思います。

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