【OAHSPE考察3-2】東日流外三郡誌『津軽阿蘇部一族の滅亡』

阿蘇部一族とは,東日流の最古の民であり,その先祖は西大陸からの渡来民である。
津軽の句には当時,山海の土地柄がよく,狩猟や漁業によって住民の飢えをよく凌ぐことができていた。ところが寒冷地であったため,津軽中央の阿蘇部平野に地面から湧き上がる温泉の周辺に集落を構え,そこで越冬するようになり,そうした民のことを阿蘇部一族と呼んだ。

一族の暮らしは,全てにおいて占いが生活の要となり,占いの導き手となる者が君主の座についた。当時,津軽の地は自身が毎日のように起こり,八甲田山の噴火に続いて岩木山の噴火もあり,その火山の下敷きになって阿蘇部一族は全員滅んでしまったという。

その後,生き残った阿蘇部一族は,噴火の神の怒りを鎮めるため,火口に生贄を捧げた。八月十五日の満月の夜に,生贄に決まった娘を飾付し,火口に落して一布施した後,二布施目の品は鹿や魚を落とし,三布施目は首飾りや宝物を落としたという。

その式目にはこうある。(津軽語部)
天暗く,地揺れるは人の滅びる前兆であるため,その神の怒りを慰めるべく,一族の大事な宝や美しき娘を生贄に施すのである。
その選定は占い師の口より神告される。
阿蘇部一族のこうした惨憺たる風習は,津保化族の代に至るまで続いた。

寛政庚申年(1800年)                       孝季

『東日流外三郡誌』阿曽辺族之変 ※現代語訳(拙訳)

【解説】

津軽地方の最古の民である阿蘇部族にまつわる伝承が記されています。
津軽地方は岩木山などの活火山があったため温泉も湧いており,寒冷の地でもあったため,人々はその温泉に群がったが,そのせいで一度噴火が起きるとその犠牲となったというのは,理屈としては通っていると思います。
今回の記事の中で注視する点は,「噴火の神の怒りを鎮めるため,火口に生贄を捧げた」という箇所です。
噴火で犠牲になったため,火山の鎮静化を祈念するため生贄を捧げたというのは,理屈は通っています。しかしこの悪しき風習が津保化族の代で途絶えたのは気になる点です。そもそも天界の主神が生贄を欲するわけがなく,これを先導した占い師がスイスsui’sの能力を持っていたとすれば,偽神や闇の霊魂にたぶらかされてこの風習を広め,その非を悟った津保化族がこの風習を廃止したことになります。

今回の記事は,津保化族=イヒン人の可能性を感じさせる内容の一つだと思います。

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