東日流の草創期にあたる古代の民族に阿曽辺族がいた。
『東日流外三郡誌』阿曽辺族之変 ※現代語訳(拙訳)
この一族の祖先は粛慎族とも言う。
東日流に渡来し定住するようになって以来,何処にも移住しなかった先住民であり,津保化族の侵攻と岩木山の大噴火によって滅亡した哀れな民族である。
そこで今,この一族を偲び,岩木山を阿曽辺盛と言うこともある。
阿曽辺族の暮らしは代々狩漁であり,安東浦から採れる無限の海の幸により平和な営みができていた。一族が崇める神は日輪と山と海であり,その祭事は毎日,踊りを奉納することで神を崇めていた。
笹竹で輪を作り,毛を剝いだ毛皮を着て手拍子で踊った。娘は結婚してから顔面に刺青を施す一族である。
この一族は地中から湧き出る温泉を好み,どれほど道が険しくてもその地を住処としていた。そのため山岳の奥にアナカという老木の根の下に穴を横に掘ってそこで暮らした。衣服はいつも獣皮であり,とても巧みに細工した。
縄を結んで後代に伝える「縄結伝」,また石を並べて後代に伝える「石置伝」,さらに煙を使った「遠報伝」,空洞の彫木を使って音を鳴らし遠く離れた人と会話をする技法など,一族の安否を常に警戒していた一族である。我らが語り部に遺されている各技法には今でも感動させられるものがある。
【解説】
阿蘇部(阿曽辺)族は,津軽地方で暮らしていた先住民であり,『東日流外三郡誌』「阿曽辺族之変」では,アジア北東部の民族と言われた「粛慎族」の説を唱えています。
OAHSPEに記載のパン大陸の水没は,B.C.25,000年~B.C.22,000年であるため,仮に阿蘇辺族の先祖が「粛慎族」であるとすると,それ以前の渡来ということになります。しかし水没前のパン大陸から渡来した可能性もありますが,その考えについて触れていないので,この「粛慎族」という説は伝承をそのまま伝えているのではなく後付けのように思います。
また次の一文「津保化族の侵攻と岩木山の大噴火によって滅亡」は,滅亡したという側面だけで判断するとそうなりますが,仮に津保化族がイスタのイヒン人だとすると「侵攻」というよりは「同化,教化」の方が表現としては相応しいように思います。
阿蘇部族は温泉が湧いている場所をどれだけ僻地でも住処としたり,老木の根っこに穴を掘って暮らしたり,獣皮を衣服としたりなど,興味深い説も記されていますが,これについては今後の発掘調査などの発見を待つしか実態は分かりません。少なくともB.C.22,000年以降はイヒン人の知識がもたらされ,文化のレベルが飛躍的に上昇しているはずなので,B.C.22,000年は先史の生活水準におけるキャズムであったと考えます。
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