次に,阿蘇辺族の主君については,次のような話が代々受け継がれている。
遥か遠い昔のこと,『ケモト』と『タキ』という若い阿蘇辺族の男女が津軽に来た。
彼らが生まれた国には氷雪が解けることがなく,草木は芽を出さず,鳥獣が移動した後を追って,氷海を何千里も渡ってこの地に辿り着いた。
時に,東日流の地には人が住んでおらず,この男女によってようやく人間が足を踏み入れた。
こうした一歩は,開闢以来,人類未踏の日本国土に人類が足を運び,永住し,子孫を遺し,老いて死んだ『ケモト』と『タキ』が何万年も前の国主であった。阿蘇部族の伝説としては,東日流人の遠祖である『ケモト』と『タキ』の故郷に天変地異が起こり,氷雪が解けなくなった。草木は氷雪の下に深く埋まり,鳥獣は飢えて死んでいった。
この時,東から豊かな草木の香りが漂い,風の便りにまかせて若い鳥獣がその後を辿り,二度と戻らぬ旅へと出かけた。この旅すがら死んでいった鳥獣,そして虎,狼,そして人間の順番にこの後を追っていった。つまり,草を食べる獣の肉を食べる獣が後を追い,その後に草肉の両方を食べる人間が後を追い,旅の途中で死んでいった鳥獣の屍を食べながら飢えを凌ぎ,遥か遠くの東日流,流鬼,渡島,飽田,越,出雲,北筑紫へと,生きている万物が移住した。人間が移住したのは北から始まり,南に到着してようやく移住がなくなったというのは特に不思議なことでもなく,その国も南の方では草木が生い茂っており,それ故に移民が始まったのは北からということになる。
いったい,寒地で生きる者は知能に優れており,暖地では衣食住に困ることがないため知能が磨かれないものである。
阿蘇辺族が東日流の地に到着するに及び,さらに西南東と狩場を求めて分布したが,いずれの地も無人であり,住み着いた土地によって族称が異なるのは,長い歳月を経た後代になってからである。阿蘇辺という三文字が残っているのは次の者たちである。
『東日流外三郡誌』阿蘇辺族伝話 ※現代語訳(拙訳)
阿倍,阿部,安倍,安東,安藤,阿久津,阿保,天内,荒木,相内
その他に若干名がいるぐらいである。
次は,蘇我,曽根,外澗,外崎らなど若干名であり,辺は下の文字であるため『彦』の文字を使って,多くは人名で使っている。
次の『阿蘇』という名前は山の名前に多い。このように,阿蘇辺族を祖としているのに,先代の歴史から途絶えてしまったのは,後世の権力者の恥たる行為とも言うべき忌むべきことである。
【解説】
この説話では,阿蘇部族の祖先として「ケモト」と「タキ」の男女が登場します。
また「阿蘇辺」という名前から一文字を取って名乗っている者たちがいると言いますが,太平洋側ではなく,何故か日本海側の地名が移住する際に使用されています。
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