【OAHSPE-格言】『堕落した下天』に堕ちる者について

【解説】

女神クペンタ・アミジの帰還後,地球で再開した『神族会議(the Diva)』に施行された『ディヴァン法』より生まれた格言を引用しています。

OAHSPE-23書の『神の第1の書』で記されたブラフマ一家の物語の中で,重要な要素の一つが「ブラフマの末子ホグ」の存在です。
本書に至るまで,OAHSPEの中で,創造主への不信仰を説くことはほとんどありませんでした。一部,神フラガパッティが,考証もしないで闇雲に信じるのはよくないという主旨のことを語っていました。(コスモンの時代における信仰の在り方について
ところがブラフマ一家の物語の中で,末子ホグを通して初めて「不信仰」の重要性が説かれました。

創造主は2人の偉大なる人間を創造しました。信仰者Faithist不信仰者unbelieverです。
肉体の試練に合格した者は御父の声を聞くことができます。なぜなら御父と一つになった者は天界や地球において何の恐れもなくなります。
恒久の復活constant resurrection』という栄光が永遠にもたらされます。
ここに到達できなかった全ての人間は,すべりやすい丘を登っているようなものです。その者は何度も高く登ろうとしますが,突然転落します。彼らは自分自身の光や叡智,自分の才能ギフトを栄誉に思い,自分に与えられたその栄誉を自分のために行使することを喜びとします。

    OAHSPE-23『神の第1の書』19章-24,25

    上述の引用文の中で特筆するのが,信仰者と不信仰者を「滑りやすい丘」で表現していることです。
    この表現と,今回引用した「信仰者は神の下に行き,不信仰者はその主神の下に行く」は繋がっており,信仰者は「滑りやすい丘」を登り切って死後,神の下に行くことができ,不信仰者はその丘を転落して主神の下に行くというように,この格言は解釈できます。

    しかしどちらも「高位の法」つまり上天の法に則っていることが大前提となっています。信仰者は創造主を信仰している者ですが,不信仰者は「一切信仰しない者」であり,信仰者以外の者ではありません。
    信仰者でも不信仰者でもなければ『堕落した下天(hada)』に堕ちるというのが,冒頭の引用文の主旨になります。


    信仰するか,もしくは一切信仰しない。

    『堕落した下天(hada)』に堕ちないようにするためには,このどちらかしか無いのだと考えます。

    コメント