【解説】
世俗に固執した者かどうかをお互い知るためにはどうすればよいのか,という質問に対するザラツゥストラの返答から引用しています。
キリスト教の聖書に「隣人を愛せよ(旧約:レビ記19章)」とありますが,隣人を愛しても隣人の番人ではないとここでは言っています。
生きていればいろいろな過ちを犯します。その過ちを悔いて,反省して,次に活かして生きていく。そうやって自分を完璧な存在にまで高めていくことが問われており,他人(隣人)の成長を気に掛ける余裕など本当はないのです。
それが「隣人の番人ではない」の真意だと思います。
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