【OAHSPE-格言】悪意の本質について

【解説】

紀元前4,000年頃に活躍したアブラハムは『旧約聖書』の創世記にも記されているように,ソドムとゴラムの町を滅ぼした後,町を追い出された闇の霊魂が意趣返しとしてアブラハムを騙し一人息子のイザクを罠に嵌めて殺そうとしました。(OAHSPE-23『神の第1の書』9章-11-19)
闇の霊魂は神をかたり,アブラハムに息子のイザクを近くの丘に連れて行き,そこで薪を積ませ,イザクを生贄として捧げるように伝えました。
この時,アブラハムはこの行為が神の教えに反すると感じていたため,イザクを生贄に捧げる前に,この闇の霊魂に対してこう問い掛けました。

あなたが神であることを私に示してください。そうすれば私は間違えません。なぜなら神は私に誰も殺さないように命令しているからです

これがアブラハムの感じていた違和感でありましたが,実体コーポリアン人には霊界の住人(霊魂,神)の正体を見破る術はありません。そのため,この場合は神を騙る闇の霊魂に対して,自分が神であることの証明をお願いしました。
結局,闇の霊魂はアブラハムを騙しきれないことが分かり退散したわけですが,ここでの教訓は,次の一文にあります。

神に選ばれし者でさえ悪の天使に騙されてしまうのです

奇跡を目撃したら,霊界の実態が分からない実体人は「神の奇跡」だと思ってしまいます。しかし神には善神と悪神がおり,その奇跡がどちらの神による奇跡なのかを識別する必要があります。
霊魂も同じです。善良な霊魂(光)と,悪の霊魂(闇)がいるからです。
神や霊魂の光と闇を見分ける方法が,アブラハムの次の言葉になります。

彼らはジェホヴィに従いあなたたちを教え,いかなるものも犠牲にせず,あらゆるものの生命であり,あらゆるものを幸福にする聖なる者なのです。

奇跡を見せてくれた神や霊魂が,自分たちを幸福にしてくれる存在なのか,いかなるものも犠牲にしていないのか,あらゆる生命を尊んでいるのか–。
それが,神や霊魂を信じることしかできない実体人が,神や霊魂を見分ける術なのだとアブラハムは教えてくれています。

悪意を持った人間も同様です。悪意を持った人間は,闇の霊魂に憑りつかれた者です。そういった人間にたぶらかされないようにするには,まずはその悪意に気付かなければいけません。
悪意の本質は,人を騙すことにあるため,アブラハムの事例と同じように「見分ける」必要があります。

「この人は自分を幸せにしようとしているのか」
「この人は他人を犠牲にせずに,自分の幸せを実現しようとしているのか」

アブラハムの教えに従うのであれば,まずはそのように相手の悪意(霊魂)を誰何すいかするべきなのかもしれません。

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