【OAHSPE-格言】本来,全ての人間は自由であり,他の何者も束縛してはならない

【解説】

紀元前3,000年頃に活躍したブラフマの末子ホグに対して,創造主ジェホヴィが語った言葉より引用しています。
ブラフマ一家は末子ホグが生まれるまでは創造主ジェホヴィ(オーマズド)に対して篤い信仰心を抱いていましたが,ブラフマが妻ユティヴと結婚して以来,神の声を直接聞くことができなくなり,それが原因で特に妻ユティヴの信仰心は薄れていきました。
このような状況で末子ホグが誕生したため,ブラフマと妻ユティヴはホグのことを心配しましたが,ホグが21歳の誕生日を迎えた時,創造主ジェホヴィがブラフマ一家の下に降臨し,説法を行いました。
この説法の中で,天使が出現し,ホグ以外はその天使の姿を見ることができましたが,ホグだけは見ることができませんでした。そのためブラフマと妻ユティヴは自分たちの不信仰心のせいでホグは天使の姿を見ることができないのではないかと心配しました。しかしホグには神々と対話する能力が備わっており,そのような心配は無用でした。
ここで,神は意図的に,ブラフマ夫妻が信仰心を持ち続けた状態で授かった6人の息子と,信仰心が薄れた状態で授かった末子ホグ,という2つの状況を生み出しました。この状況下で,信仰心を持つ者も持たざる者も,そのどちらも必要な存在であり,その中で重要な要素は引用した部分の「自由であること」だと言いました。
自分の考えは誰にも縛られてはならず,逆に他人の考えを縛ってもならない,というのが「自由」です。
他人の意見は尊重しても,その意見に従う必要もないのです。逆に自分の意見で他人の意見を縛るべきでもありません。
信仰心を持つことも持たないことも,どちらも本人の自由であると言うわけです。そしてこれは『OAHSPE』の一貫した主義でもあります。

あなた自身の意志で定命の者たちを美徳で縛り,すべての物事を制御しようとするのは,私の考えに反しています。
もしもあることを強要されたとして,それがその人にとってどのような栄誉があるというのでしょうか?

OAHSPE-3『ジェホヴィの書』7章-24

強要された意思には何の価値もありません。神は人間の我儘を戒めていますが,自分の意見を持つことは決して我儘ではなく,我儘はそれを他人に強要することだと思います。
「この教義に反する者は全て敵」という発想はそもそも創造主の教えにないのです。信じるも,信じないも,全ては本人の自由というのが創造主の教義であり,それでも心から信仰心を抱いてほしいというのが創造主の願いなのだと思います。

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