正義を貫く私たちの価値観で言えば,私たちの限界に大なり小なりあっても問題はなく,それが最大の栄誉になるのではありませんか?
人間が正義を貫くことは,その者の王国にとって完璧な栄誉になりませんか?
『私は自分の力と叡智において,できる限りのことを行いました』と言える者は,人間や神々の中でも最上位の人物なのです。
ヤトンテは言いました。
OAHSPE-19『フラガパッティの書』19章-6-8
「もしもある者が隣人を悪から善へと変えることができたならば,その者は自分の勝利と隣人の改革という2つの偉大なる成果を収めたことになります。
それとは逆にその者が隣人を悪から善に変えられなかったとすれば,その者の失望と,ジェホヴィの栄光を損なうという2つの不幸に見舞われることになります。
自分の失敗を語りながらも,御父の栄光への貢献について語れるのは,強い人間の為せる業です」
フラガパッティは言いました。
「ヤトンテよ,私たちはその大きさをどう測ればよいというのでしょうか?
1人のドルク人を光に導いた定命の者は,10万人の者を救済した神々と同じ栄光に浴するものではないのですか?
その者は他の者とどうして同じ大きさにないと言えるのですか?
正義を貫く私たちの価値観で言えば,私たちの限界に大なり小なりあっても問題はなく,それが最大の栄誉になるのではありませんか?
ジェホヴィが人間にお与えになったのは『至高の御方』の御名の下で,まずは自分の救済を学ぶことでした。これができる者は偉大な統治者です。
次にジェホヴィは人間に小さな王国の統治を仰せになりました。おそらく酒飲みや乱暴者,そして自分の家族でさえも正義の名の下に統治するためです。これができる者は偉大な統治者です。
人間が正義を貫くことは,その者の王国にとって完璧な栄誉になりませんか?」
ヤトンテは言いました。
「御父は知っていたのです!
試して,試して,試してみる,これが人間にとっての善行の積み上げです。
人間は天界や地上において,自分が為した善行に対して残念な気持ちを持つものなのでしょうか?
哀れな人間はこう言わないでしょうか?
『もしも私はこれを持っていたら,これだけの善行を行えるのではないか?』
金持ちも同じことを言い,王もまたそう言います。
ジェホヴィは彼ら全員にそれぞれの王国をお与えになられました。しかし『私は自分の力と叡智において,できる限りのことを行いました』と言える者は,人間や神々の中でも最上位の人物なのです。
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