【OAHSPE-格言】無学な者とは,人格や精神面で成長しない者をいう

【解説】

紀元前4,000年頃に活躍した伝道者アブラハムは,若い頃から神の奇跡を行うことができており,その力を慕って集まった人々を引き連れて,各地を転々と旅しました。
アブラハムは元は王侯貴族の奴隷でしたが,そこでは奴隷であっても様々な学問を修めることができました。しかしアブラハムの下に身を寄せた人々も同じ奴隷の身分でしたが,仕えた主人によっては大した学問を修めることもできずにいました。
アブラハムには,生まれた時から神ヴィシュヌが守護しており,ある時,自分の民の無学を嘆き,神ヴィシュヌにそのことを相談しました。それに対する神ヴィシュヌの回答が今回引用した部分になります。

人間は生まれた時,生まれた場所や両親,霊魂が持つ宿命などの先天的な要素により,歩むべき道が異なります。霊魂としては誰もが等しく,実体界における『生』と『死』があるという意味では平等ですが,実体コーポ界では,誰もが同じ人生を送ることはできません。なぜなら先天的な要素は人によって異なるからです。
例えば双子で生まれた2人の子供がいたとします。両親や生まれた場所が同じであっても,この2人の性格は決して同じではありません。なぜならこの2人に宿った霊魂はそれぞれ別人格だからです。
また貧しい国で生まれた者や,豊かな国で生まれた者も,それぞれ同じ人生を歩めるはずもなく,受けられる教育も異なります。
それでは高等な教育を受けられた者とそうでない者は,人格的や霊的にどちらが優れているのかというと,神ヴィシュヌは「創造主を知るか否かにある」と言っています。つまり創造主の教えを知っているか否かです。

どれだけ高等な教育を受けていても,どれだけ実体界で出世し高貴な身分になっても,人格的に霊的に卑しい,つまりあまり褒められない人間はいます。そういった人たちよりも,貧しくても家族思い,仲間思い,優しい心根の人間は,どちらが優れた人間なのかというと,明らかに後者です。
そして実体コーポ界の人生が『死』を迎えた時,天界で評価されるのは人格的,霊的な部分です。
それならば,現世において出世を心掛けて人格や心(=精神)を磨かないのは,いったい何になるのでしょうか?

アブラハムが活躍した時代に降臨した女神クペンタ・アミジは,自分の後任の神にテェレThaleを指名しましたが,テェレは元は農夫でした。その後,天界で様々な職業や学問を修めて,5,000年後,研鑽を積んだテェレは地球の神に指名されました。(OAHSPE-23『クペンタ・アミジの書』9章-5)


テェレは現世では高位の身分ではありませんでしたが,それでも天界での研鑽により地球の神にまで上り詰めました。現世での学問よりも,現世で人格や霊的な面を成長させる方がずっと良いのだと思います。

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