【解説】
悪の心を持つ者は,他人の物を収奪すると創造主は仰せになっています。自分がこつこつと努力して生み出した物でも,悪人に奪われることはよくあります。
それでも努力したこと自体に意味や価値があり,努力をしたことでその人自身の叡智や力が成長すると創造主は仰せになっています。
悪人はいつの時代にもいます。奪われることも多々あります。生み出した者を奪われた時,それを悲しいと思ったり,悔しいと思うことも当然ながらあります。
しかし生み出した時,自分が成長したと思い,奪われた時,奪った者は成長の機会を損なったと思うことで,そういった感情に蓋をして溜飲を下げていくしかないのでしょう。
聖人君子であれば,自分の所有物を奪われた時,その人の悪の心を嘆き,改心を求めるのかもしれません。しかし全員がそういった人になれるわけでもありません。それならば,自分は成長し,彼は成長しない,そういう風に考えて,奪われても人を憎まないようにする,それができるだけでも,とても素晴らしいことなのかもしれません。
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