【OAHSPE-格言】自由は誰かに作られるものではなく,犠牲によって生み出されるものである

【解説】

紀元前7,000年頃にパーシー(ペルシア)で活躍したゾロアスター教の教祖ザラツゥストラが,自分に生まれた時から宿る神イフアマズダとの会話より,自由についての問答から引用しています。

『OAHSPE』では,自由は最も重要な要素の一つとして取り上げられています。例えば『OAHSPE』に頻出する「救済」という言葉は「束縛からの解放」という意味が込められており,何者にも束縛されずに行動できる「自由」を最も価値のある状態として見做しています。

それでは「自由」を全員が口にして,全員が好き勝手に振る舞うとどうなるのでしょうか?
そこにあるのは混乱と無秩序です。
最も価値のある「自由」を全員が手にして,その権利を主張して譲らなかったら,そこには争いしかありません。そもそも「自由」を求めて争うのを創造主が許すはずもありません。
自分の「自由」を主張する者は我儘な人間,つまり闇堕ちしたドルク人だと神イフアマズダが言っている通りだと思います。

それでは「自由」とは一体,何なのでしょうか?
自由とは,何者にも拘束されずに行動できる状態ですが,100%の自由な状態などあるはずもなく,「公共の利益のために多少なりとも自分の自由を犠牲に」しなければ成立しないものだと神イフアマズダは言っています。

「自由」を口にするとき,その「自由」は自分の都合ではなく,社会全体に利益をもたらす内容なのかを常に考えないといけないのだと思います。
この「社会全体」というフレーズがとても難しく,例えば「お国のために徴兵の義務」は当然ながら個人の「自由」を損なうものですが,これは我慢するべき行為なのか否かを考える必要があります。
そもそも社会全体と国家は同義ではありません。そして社会とは,善良なる人々が暮らす世界であり,悪人が暮らす世界は含まれていないと考えます。そのため悪人を善人に作り替えていく努力(更生)が求められるわけですが,善人が暮らす社会を支える国家は決して「社会と同義」ではなく,『OAHSPE』では,悪の道に堕ちた国家は容赦なく神の手により滅ぼされています。人間が貢献するべき相手は「社会」であって「国家」ではないのだと思います。但し社会を維持するために国家は存在するわけであり,その国家が社会の維持のために必要なコストとして,例えば徴税するのは,これは当然,果たすべき義務なのだと思います。これが神イフアマズダが言った「どれぐらいの犠牲を強いればよいのかを確認すること」になります。

それでは「犠牲」と言うならば,国家の安全のために徴兵するのはどうなのか,です。
社会を維持するために,社会を支える国家の安全は必要です。その国家の安全のため徴兵され,そして戦争が起きれば人殺しに加担するのは是なのか否なのか。

ザラツゥストラは悪政を強いる故国オアスを捨てました。紀元前4,000年頃に活躍したアブラハムもブラフマも故国を離れ,不毛な地へと好んで移住し,悪政から逃れました。
現代社会では,当時ほど簡単に故国を捨てられない事情はありますが「逃げる」という選択肢もあるのかもしれません。
それでは「逃げられない」状況であれば,やはり徴兵に応じるのか。第二次世界大戦前の日本では,反戦を唱えただけで処刑されることもありました。周囲の国民からは「非国民」と罵られることもありました。
「国家の下で生活しているのだから,国家のために働くべき」
この論法は一見,良さそうに見えますが,創造主の教えにそのようなものはありません。しかしそれに応じなければ,向かう先は「死」です。

本来「自由」の守り手であるはずの国家が,自由を奪うか,生命を奪う側になるわけです。これを地獄と言わずに何と言うのでしょうか?

あの悲惨な第二次世界大戦から80年が経過し,あれだけの大戦に辟易したはずの世界では,尚も戦争が何処かしらで行われていますが,日本は辛うじてそれに巻き込まれずに済んできました。
これは世界中を見渡しても奇跡的なことなのです。日本人はそのことにもっと感謝しないといけないのだと思います。
そして日本は第二次世界大戦というあの傷みを未来永劫忘れず,この平和を維持していくための方策を常に考えていかなければならないのだと思います。それが自由を守ることにも繋がっていくからです。

コメント