叡智を成長させる者は叡智を与え,愛を成長させる者は愛を与え,霊魂を成長させる者は霊魂の力を出さなければいけない。
この言葉は叡智や愛,霊魂は出し惜しみするのではなく,使えば使うほど力を増すことを意味していると考えます。
この愛の中には『懺悔』も含まれています。
罪を犯した者がいたとします。その行為に後悔して悔い改めたいと願ったとします。そうした者には『赦し』を与えることも「愛」なのだとここでは言っています。
恐らく現世の法律で定められた「罰」はなくならないでしょう。しかし心の「罪」は改心したのであれば赦されるべきだと思います。なぜならば心に「罪」を抱えた状態で死を迎えれば,その者の霊魂はドルジとなり,死後の世界で救われない存在となるからです。
コメント