【解説】
実体界の人間は,現世の肉体が活動を停止(=死)した時,天使アシャールがその霊魂を抽出し,優しく毛布に包れて,天使アサフに引き渡し神の下へと送られると言います。
ところが戦場で亡くなった霊魂は自分が死んだことさえ分からず,天使アシャールが霊魂を抽出しても天界に送ることができず,戦場に留まったままだと言います。
同様に霊魂を信じていない人々も,天界に送られるのを拒むようです。
今回の格言は,ザラツゥストラが生きた紀元前7,000年頃に,神イフアマズダとパーシーのオアスの町のアシャ王との会話より引用しています。この会話の流れは,アシャ王が,来訪したザラツゥストラと対談している時,途中からザラツゥストラに宿っていた神イフアマズダが会話に乗り出してきたところから始まります。
実体界に身を置きつつ,霊魂を信じていないアシャ王から見たら,ザラツゥストラが喋っている言葉なのか,それともザラツゥストラが神のふりをして喋っている言葉なのか,もしくは本当に神の言葉なのか,見分けがつかない状況でした。
そのため「あなたは,実体を持つあなた個人に属していないということを,私にどう証明してくれるのでしょうか?」と問い掛けたわけですが,これに対して神イフアマズダは「これは叡智なのです」と返しています。
つまり,霊魂という存在自体が「叡智」であり,人間であれば誰もがその霊魂を宿しているため,証明しようがしまいがそれを受け入れてこの現世を生きるしかないと,ここでは言っています。
それを受け入れられずに「死」を迎えた場合,現世に留まり続けることになるわけです。
「死」を迎えた時,霊的に成長した状態であること。
そのためには,実体界でしか学べないことを学ぶこと。
善行を心掛け,励めば,その分,霊的に成長するようです。逆に悪事に手を染めればその分,霊的に退化(堕落)するようです。
この世に「悪」が存在するのは「善」を際立たせるためだと個人的に考えています。かつて自分が「悪事」に手を染めていたとしても,それを悔いて改心し「善行」に励むようになれば,贖罪は必要かもしれませんが,霊的には成長するはずです。なぜなら,創造主にとって善も悪も「状態」であり,悪は善を成長させるための触媒のようなものだから,悪事に手を染めてもそれで善を知ることができれば,本来の悪の役割を果たしていると言えるからです。
恐らく,一番大切なのは「善行」を心掛けることなのかもしれません。現世を生きていれば,悪事に手を染めてしまうことも多々あると思います。その都度反省し,そういったことを行わないように自戒し,善行を意識して生きていくことが大切なのかもしれません。
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