『OAHSPE』に登場する聖人や偉人の人物伝。逐次更新
アブラハム(Abraham):パーシーの聖人。ハムの救済者
紀元前4,000年頃,アブラムはセムの地パーシーのヘサで,祖父シー・ラの第2子ナ・ホルの子として生まれました。アブラムは生まれ故郷のヘサでは鞄職人で,王侯貴族の下僕でした。
アブラムには神ヴィシュヌが生まれた時から宿っていました。幼い頃から神の声を聞くことができ,そのため若い時に王侯貴族の下から逃亡し,リスティア人の下で鞄職人として暮らしていました。
アブラムは王侯貴族に商品を売る時,様々な奇跡を見せました。その話を伝え聞いた王侯貴族の奴隷たちは,次々とアブラムの下に集まりました。(OAHSPE-23『神の第1の書』8章)
王侯貴族の下から逃れた奴隷が4,500人に達すると,アブラムは神の声に従い,ホゥド・ルッツの低地に向かうことになりました。
この背景には神ヴィシュヌの意向がありました。元々,神々の計画では,救済者と呼ばれる聖人をセムではなくハムから輩出したいと考えていましたが,一向にハムから誕生しなかったため,洪水以前にドルク人に破壊された古代のハムの地にアブラムを導こうとしていたのでした。
ホゥド・ルッツに着いたアブラムは,「ハムの救済者」という意味を込めてアブラハムの二つ名が与えられ,アラビーニャの信仰者を取り纏めするラバ長になりました。
アブラハムには弟のロトや,甥のロトがいましたが,彼らはアブラムの奇跡を信じていませんでした。
この時,神はアブラハムに,シディムの谷のソドムとゴモラを訪ねるように指示されました。
アブラハムがソドムとゴモラの町を訪ねると,その町は既に闇の霊魂で満ちており,地獄の様相を呈していました。神は最初からこの町を滅ぼす予定であり,ソドムとゴモラには火と硫黄が降り注がれ,町を燃え破壊されました。この時,弟のロトがアブラハムの下から逃亡し,洞窟の中で暮らしました。
その後,アブラハムは神の声に従い,息子のイサクを連れて,宿営地としていたジレの近くの丘に向かいました。そこでアブラハムは祭壇を設け,息子のイサクには薪を集めさせました。
神ヴィシュヌは故意にアブラハムから離れると,ソドムとゴモラにいた闇の霊魂がアブラハムに憑りつき,神の命だと偽って,息子のイサクを生贄に捧げるようにお告げしました。しかしアブラハムはその佞言に惑わされることなく,この闇の霊魂を追い払うことができました。
(OAHSPE-23『神の第1の書』9章)
アブラハムにはサライという妻がいました。サライには侍女のハガルがおり,ハガルにはイシュマエルという一人息子がいました。ハガルは生まれ故郷のエギュプトで,未婚のままイシュマエルを儲けましたが,周囲は婚前で子供を儲けたハガルのことを嫌っていました。そこにエギュプトを訪れていたアブラハムがハガルを侍女として迎えたのですが,当時,サライは子供がなく,それが原因でハガルの息子をアブラハムの息子と勘違いして嫉妬しました。
神ヴィシュヌはサライの嫉妬心を心配して,アブラハムに誤解を解かせたため,大事には至りませんでしたが,アブラハムはイシュマエルを自分の養子に迎え,その後,サライとの間に一人息子のイサクを儲けると,今度はハガルがサライに嫉妬しました。
アブラハムはハガルを何度も宥めましたが結局ハガルの嫉妬を抑えることができず,ハガルはイシュマエルを連れてアブラハムの下を離れました。(OAHSPE-23『神の第1の書』11章)
アブラハムの妻サライは年老いると神の声を聞くことができるようになりました。神ヴィシュヌはその血統を繋げていきたいと考え,息子のイサクに,神の声を聞くことができる女性を妻にするようにアブラハムに指示しました。
アブラハムは神の指示に従い,自分の父祖の地に従者を派遣し,そこでレベッカという女性を連れて帰ることができました。
(OAHSPE-23『神の第1の書』13章)
ア・ティドン(Ah-tdong):大都市『フグ・シン』に暮らす哲学者
紀元前7,000年頃の人。ザラツゥストラと同時代の人。
大都市『フグ・シン』で暮らしていた哲学者。オアスの王アシャは学者を派遣し,ア・ティドンに知見を求めました。(OAHSPE-20『神の言葉の書』12章-12)
アシャ(Asha):オアスの王。イフアマズダの僕
紀元前7,000年頃の人。
ジスタの息子。オアスの人。数多くの学者の中での長。(OAHSPE-20『神の言葉の書』2章-6)
妻はオアスのソーチ王の娘。
ザラツゥストラが生まれた時,彼の母トーチェに会い,ザラツゥストラに憑依したイフアマズダを通して会話しました。赤子と会話するという奇跡を体験しましたが,アシャはそのことを信じ切れず,トーチェと赤子のザラツゥストラをソーチ王に密告しました。当時,オアスの町は王の命令には絶対順守であり,ソーチ王はこの奇跡を自分の目で確認したいと思い,アシャにこの母子を連れてくるように命じました。
アシャは翌日,この母子に会いに行きましたが,既に母子は身を隠した後でした。
アシャは王の命令に応えることができなかったため,身の危険を察して逃亡しました。(OAHSPE-20『神の言葉の書』3章)
その後,ソーチ王はこの母子の捜索を続けましたが発見できず,ついにはオアスの町にいる全ての幼児の処刑を命じました。この時,アシャには1人の男児がおり,ソーチ王の孫に当たりました。ソーチ王は自分の孫も処刑することになり,自分の命令を後悔し命令の撤回を思い立ちましたが,アシャはソーチ王に命令の撤回をしないように諌言しました。なぜならソーチ王の都合だけで命令を撤回すると,今後,法を守ろうとする人がいなくなることを危惧したからです。
アシャはソーチ王に,この諌言の代償に自分の処刑を申し出ました。(OAHSPE-20『神の言葉の書』4章)
処刑の日を迎え,ソーチ王は自分の孫を処刑できず,命令を撤回してしまいました。そのため民衆はソーチ王を軽蔑し,一方で死の覚悟でソーチ王に諌言したアシャの勇気に奮い立ち,武装蜂起してソーチ王を殺害し,アシャを次のオアスの王に擁立しました。(OAHSPE-20『神の言葉の書』5章)
その後,アシャはザラツゥストラの行方を何年も捜索しましたが一向に手掛かりが掴めないまま,10年以上が経ちました。
オアスの町にザラツゥストラが現れ,王との謁見が申し込まれました。この時,ザラツゥストラと神イフアマズダの言葉に感銘を受けたアシャは僕になることを申し出ました。ザラツゥストラはこの時はまだアシャの願いを聞き入れず,アシャに紙と筆を要望し,それを持って『山羊の森』に籠りました。ここで再びザラツゥストラとの連絡が途絶えました。(OAHSPE-20『神の言葉の書』6-7章)
長い歳月が経ち,神イフアマズダと共に聖書を執筆し終えたザラツゥストラはアシャ王の下を再び訪れました。
ザラツゥストラと神イフアマズダはアシャ王を何度も説得した後,漸く聖書を支配下の国々に公布してもらうことに成功しました。アシャ王は聖書の公布後,退位し,ザラツゥストラの僕となる道を選びました。(OAHSPE-20『神の言葉の書』12-13章)
アシャは退位後,托鉢を持って貧者と1年間暮らすと何千人も信者が現れ,彼らは『ザラツゥストラ人』と呼ばれました。(OAHSPE-20『神の言葉の書』16章)
1年の托鉢の期間を終える頃,オアスのヒヤツィン王(アシャの後継者)がザラツゥストラとアシャを危険視し,追捕の命を下しました。アシャは捕らえられ,処刑の命が下り,ウガの車輪に縛られて死ぬまで放置されるという憂き目に遭いましたが,イフアマズダの御加護により救われました。これを見たヒヤツィン王はアシャが衛兵に賄賂を贈ってウガの車輪の縛り紐を解いたのではないかと疑い,衛兵を処刑することになりました。アシャはザラツゥストラと一緒にこの衛兵を救出しました。(OAHSPE-20『神の言葉の書』16-17章)
その後,アシャはザラツゥストラが育った『山羊の森』に行き,そこでアラバと呼ばれる長になりました。(OAHSPE-20『神の言葉の書』18章)
ザラツゥストラが各地に説法の旅に出ると,アシャは『山羊の森』の民を従え,管理しました。
4年後,ザラツゥストラが戻ってくると,アシャはザラツゥストラと共にオアスの町に行き,そこでオアスの門番の罠に掛かり,捕縛されました。しかしアシャは解放され,ザラツゥストラは死刑宣告され,処刑されました。しかしザラツゥストラが数々の奇跡を群衆に見せたため,群衆はザラツゥストラを支持し,王を殺害しました。(OAHSPE-20『神の言葉の書』29章)
ザラツゥストラは自分の死から3日3晩,アシャやその他の信者の前にサルギスの姿で現れ,説法を行いました。そして4日目の朝,ザラツゥストラはアシャに最後の別れの挨拶を行った後,昇天しました。(OAHSPE-20『神の言葉の書』30章)
ブラフマ(Brahma):ヴィンデュの聖人
紀元前4,000年頃の聖人。ヴィンデュ生まれ。妻はユティヴ。
地球の神ハチュエが特別にブラフマに付き添い,導いていました。
神クペンタ・アミジが地球救済のため降臨し,ダンの夜明けを迎えた際,既に亡くなっていたブラフマとユティヴの墓より2人の遺体を蘇生させました。2人は聴衆の前で行進後,昇天し,第3の復活を迎えました。(OAHSPE-22『クペンタ・アミジの書』13章-11)
ハイ・シアン(Hi Seiang):ジャフェスの太陽王
紀元前4,000年頃。当時,ハン王朝が隆盛を誇っていましたが過酷な法制を敷いていたため,ヘンガ・ディの南の村の統治者であったハイ・シアンは,ハン王朝からの離脱をかねてから考えていました。
そこに,神の声が聞こえると嘯く青年ポーが現れ,「自分には自分以外にもう一人の自分がいて,互いに質問と答えを繰り広げているのだが,これはどういったことなのだろうか」と悩みを聞かされました。
ハイ・シアンは半信半疑でポーの話を聞いていましたが,突然,火柱が起こり,庭の灌木が燃え上がったかのように見えました。しかし実際は燃えていなかったため,ハイ・シアンはこれをポーの仕業と疑い,「自分を魔術で誑かそうとしているのか」と詰問しましました。
これに対してポーは「グォンの部族ムー・グォンが死にました。今後,グォンの部族の人々はフェ国とヘンガ・ディに集結します」と予言したため,ハイ・シアンはいったんポーの素性の詮索を棚上げし,その予言の真偽を確かめるため使者を派遣しました。(OAHSPE-23『神の第1の書』3章)
ポーの予言は実は正しく,ハイ・シアンはア・シンを呼んでポーの素性を調べさせましたが,ハイ・シアン,ア・シン,ポーの3人が集まった時,庭に火柱が起こり,砂の上に「ティ・イン」の文字が書かれていました。
ポーはこの文字を見ると,「この『ティ・イン』は今後,神の部族の名となる」と言いました。
これを聞いたハイ・シアンはハン打倒の口実に使えると考え,ポーの下で神の教義について学ぶようになりました。(OAHSPE-23『神の第1の書』4章)
ハイ・シアンはポーの教義に改宗し,この教徒は『ティ・イン』と呼ばれるようになりました。
その後,ハイ・シアンはア・シン,ツェ・ゴウとハン打倒の盟約を結び,ハン王朝に対して反旗を翻しました。最初,ハンの軍勢の前に敗れましたが,ハンが蛮族の襲撃により命を落とすと,ポーによりフェ国の統治者に任命されました。
その後,ジャフェスの13の王国の議会を招集し,審議の結果,『太陽王』に擁立され,ジャフェスを統治することになりました。(OAHSPE-23『神の第1の書』7章)
ホグ(Hog):ブラフマとユティヴの末子
紀元前4,000年頃に活躍した聖人ブラフマの末子。オシリスの法を信仰していました。
神クペンタ・アミジが地球救済のため降臨し,ダンの夜明けを迎えた際,既に亡くなっていたブラフマとユティヴの墓より2人の遺体を蘇生させた際,復活した2人の姿を見届けました。(OAHSPE-22『クペンタ・アミジの書』13章-11)
ポー(Po):ジャフェスの聖人
紀元前4,000年頃に活躍した聖人。予言者ディ・ショチェの子ホ・ロンの息子。
ポーは生まれながらにして無性であり,神の声が聞こえました。神はポーに,失われたザラツゥストラ人の復活を使命として与えました。
当時,ハン王朝が隆盛を極めており,その国是として男女は結婚し多くの子を儲けることが法で定められていました。
神はポーに「妻と子を授ける」と言いました。
その頃,ホン・グではディワンが暴政を敷き,そこで暮らしていた一人の女性ア・トド・ジーは,3人の養子を連れてポーが暮らす国に亡命しました。
ポーはこの女性と結婚し,連れ子の3人(ウォン・リ,トーハン,ツェ・ルー)をそのまま養子にしました。ポーはこの時20歳でした。
(OAHSPE-23『神の第1の書』3章)
ポーは幼い頃から神の声が聞こえ,その神と対話してきました。そのことを神に問い質すと,神はヘンガ・ディの南の村の統治者ハイ・シアンを訪ねるように答えました。
ポーは自分に起きている事象についてハイ・シアンに質問したところ,ハイ・シアンはポーを異端者と見做して警戒しましたが,神はポーを通じてハイ・シアンにフェ国の統治者ムー・グォンの死を伝えると,兼ねてよりハン王朝からの離脱を考えていたハイ・シアンはこの話が真実であると分かると,ポーやア・シンと共にハン王朝からの離脱のため,神の教えを学び始めました。
神の教えはハン王朝の教義とは真逆の性質であったため,万が一にもハン王朝に漏れてはならないものでした。そのため神の教えは書物や石板ではなく,口頭で教えられました。
(OAHSPE-23『神の第1の書』4章)
その後,ハイ・シアンはア・シン,ツェ・ゴウとハン打倒の盟約を結び,ハン王朝に反旗を翻しました。ハンは彼らを掃討し勝利を収めました。ポーは南に逃れ,ヒ・アゥの部族にいた信仰者を傘下に加えました。
ハンは賊軍の追討のため四方に兵を派遣しましたが兵を分散させすぎたため,蛮族の襲撃を受けた時,蛮族の女性の手に掛かり,非業の最期を遂げてしまいました。
この後,ポーはフェ国に帰還し,ハイ・シアンを統治者に指名した後,神の教義の広めるため東西南北を旅しました。
(OAHSPE-23『神の第1の書』7章)
ユティヴ(Yu-tiv):ブラフマの妻
紀元前4,000年頃に活躍した聖人ブラフマの妻。ヴィンデュ生まれ。夫はブラフマ。長子はホグ。
ブラフマに先立って亡くなりましたが,その際,昇天する自分の姿を夫ブラフマの目に焼き付けさせて,創造主ジェホヴィに真っ先に目を向けることを意識づけさせました。(OAHSPE-22『クペンタ・アミジの書』13章-4)
神クペンタ・アミジが地球救済のため降臨し,ダンの夜明けを迎えた際,既に亡くなっていたブラフマとユティヴの墓より2人の遺体を蘇生させました。2人は聴衆の前で行進後,昇天し,第3の復活を迎えました。(OAHSPE-22『クペンタ・アミジの書』13章-11)
ザラツゥストラ(Zarathustra):ゾロアスター教の開祖
紀元前7,000年頃の人。(OAHSPE-20『神の言葉の書』前書き)
→コスモン時代より8,900年前と『OAHSPE』には記載されています。『OAHSPE』が刊行された年代を1900年頃と仮定すると,ザラツゥストラが活躍した年代は紀元前7,000年頃となります。
母はトーチェ,父はローブ。
神の命を受けた天使ルーイが,パーシーの首都オアスに住むイフアン人とイヒン人を結婚させることを第6世代まで続け,スイとサルギの才能を持つ人物としてザラツゥストラが生まれました。
最初,母トーチェは度々意識を失うことがあり,そのせいで自分の子には父親がいないと言いました。(『OAHSPE』には父の名も記されているので,実際にはそのようなことはありません)
(OAHSPE-20『神の言葉の書』2章)
その後,イフアマズダは赤子のザラツゥストラの体を借りて,赤子に会いに来た者たちに様々な奇跡を見せますが,その話を聞いたソーチ王から捕縛の命令が出されると,オアスの町を去り,『山羊の森』へと避難し,リスティア族に匿われます。(OAHSPE-20『神の言葉の書』3章)
幼少期,主神エジャの教えの下,あらゆる叡智を教え込まれました。
少年期になると主神エジャが顕現するようになりました。(OAHSPE-20『神の言葉の書』6章)
青年期になると『山羊の森』を離れてイヒン人の町に行きます。そこで7年間,司祭としての務めを果たした後,再び『山羊の森』に戻り,自分の民を母トーチェに預けた後,オアスの町に行きました。
オアスの町ではソーチ王が暴動により殺され,その後釜としてアシャが在位していました。アシャはザラツゥストラが赤子の時に会い,その奇跡を目の当たりにした哲学者です。ソーチ王の死後,人々から擁立されてオアスの王位に就いていました。
アシャはザラツゥストラと会談し,ザラツゥストラを通してイフアマズダと会話したことで,ザラツゥストラの下僕として協力することになりました。
その後,ザラツゥストラは再び『山羊の森』に戻り,神の書の執筆に勤しむことになりました。(OAHSPE-20『神の言葉の書』6-7章)
聖書を完成させると,アシャ王に献上し,アシャ王を通じてオアスとその属国に配布してもらいました。(OAHSPE-20『神の言葉の書』12-13章)
その後,アシャがオアスのヒヤツィン王(アシャの後継者)に捕縛されると,神イフアマズダとともにアシャを救出しました。(OAHSPE-20『神の言葉の書』16-17章)
アシャを救出したザラツゥストラは,この騒動で獲得した信者と共に『山羊の森』に行き,アシャを森の民の管理者(アラバ)に任命した後,ジャフェス,セム,ハムにザラツゥストラの法を説く旅に出ました。(OAHSPE-20『神の言葉の書』18章)
この旅でザラツゥストラは創造主オーマズドの法,神イフアマズダの法,ザラツゥストラの法を説いて回り,この法に従わない町は次々と破壊されていきました。
ザラツゥストラは4年の歳月でジャフェス,セム,ハムと旅し,各地の町や王国を打倒した後,最後にパーシーに戻りました。(OAHSPE-20『神の言葉の書』26-27章)
パーシーにはザラツゥストラの生まれ故郷のオアスの町があり,そこのポニャ王はザラツゥストラのことを憎み,賞金を懸けていました。
オアスの町の門番ゾーダスはザラツゥストラを騙して城壁内の部屋に案内してそこに足止めすると,ゾーダス自身は王にそのことを伝え,衛兵を連れてザラツゥストラを捕縛しました。
ザラツゥストラには死刑が宣告されましたが,この時,ザラツゥストラはポニャ王の死を予言しました。この予言通り,ザラツゥストラの処刑後,ポニャ王は民衆の反乱に遭い,死亡しました。(OAHSPE-20『神の言葉の書』27-29章)
その後,ザラツゥストラはサルギスの姿でアシャやその他の信者の前に姿を現し,説法を行いました。そして4日目の朝,ザラツゥストラはアシャと最後の挨拶を交わした後,天に召されました。(OAHSPE-20『神の言葉の書』29-30章)
ザラツゥストラを上天に連れて行ったのは,神フラガパッティでした。(OAHSPE-19『フラガパッティの書』41章-34-38)
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