【OAHSPE:聖人列伝】ゾロアスター教の創始者ザラツゥストラ

誕生(OAHSPE-20『神の言葉の書』3章~6章)

「OAHSPE-20『神の言葉の書』前書き」によれば,ザラツゥストラが活躍した時代はコスモン時代より8,900年前と記されています。『OAHSPE』が刊行された年代を1900年頃と仮定すると,ザラツゥストラが活躍した年代は紀元前7,000年頃となります。

当時,ペルシア湾一帯はパーシーと呼ばれ,数々のイフアン人による国家が建国されていました。この国家群の中で中心都市として栄えていたのはオアスという町でした。
この時代,常に戦争で明け暮れており,勝利国は敗戦国の兵士の躯を城門に吊るしていたと言います。
死者の霊魂は鎮魂されず,第1の復活も得られない霊魂が溢れかえり,地上は地獄図のようでした。
イフアン人の神イフアマズダはこの状況を憂慮し,地獄の元凶たるオアスの町を始めとするパーシーの強国群を滅ぼすしかないと決意し,そのための準備を始めました。
神イフアマズダは天使ルーイを召喚すると,オアスの町で暮らすイフアン人と,神に選ばれし民イヒン人とを結婚させて子供を儲けさせ,スイスとサルギスの才能を持つ人物を生み出すように指示しました。
天使ルーイはイフアン人とイヒン人の交配を6世代に亘って続け,こうして生まれたのがザラツゥストラでした。
ザラツゥストラの母はトーチェと言い,ザラツゥストラを出産した時,自分は男性と性交していないのに子を儲けたと言っていました。しかし実際は,父親はローブと言い,トーチェは性交の際に意識を失っていたため,そう勘違いしていただけだったと言います。(OAHSPE-20『神の言葉の書』2章)

神イフアマズダは天使ルーイの報告を受けると,まだ赤ん坊であったザラツゥストラの体に宿り,母トーチェを始め,赤子に会いに来た人々に数多くの奇跡を見せました。そのためザラツゥストラは生まれながらにして「奇跡の子」として周りに認知されるようになりました。
当時,オアスの町を統治していたのはソーチ王と言い,勇猛で知られ,迷信の類を一切信用しない王でした。それは部下にも厳命しており,仮にそういった類の話をソーチ王は耳にしたら,最初にその真偽を確かめて,それが虚偽であれば処刑も辞しませんでした。
さて,奇跡の子ザラツゥストラの噂はソーチ王の耳にも届き,ソーチ王は噂の真偽を見定めるため,娘婿のアシャを始めとする側近を派遣しました。
アシャは学者でもあり,ソーチ王と同じく実証主義者でした。アシャは自分の目でザラツゥストラが奇跡の子であることを確認すると,そのことをソーチ王に復命しました。
ソーチ王はアシャの報告を聞くと,その赤子を自分の下に連れて来るように言いました。アシャはもう一度,ザラツゥストラに会いに行きましたが,母トーチェは神イフアマズダの導きにより行方を眩ましており,ザラツゥストラに会うこともできませんでした。
ソーチ王はアシャから何の連絡もないことに苛立ちを覚え,ついにはオアスの町全域にザラツゥストラの捕縛の命を布告しました。この布告を知ると,神イフアマズダはトーチェ母子をオアスの町から逃がしました。
トーチェは赤子のザラツゥストラを抱えたまま,「山羊の森」と呼ばれる場所に行き,そこで暮らしていたリスティア人の下でかくまわれました。
この地でザラツゥストラはすこやかに育ち,幼少期には主神エジャEjahが顕現し,様々な叡智を体得しました。

青年期(OAHSPE-20『神の言葉の書』6章~7章)

青年となったザラツゥストラは主神エジャの言葉に従い,山羊の森を離れ,オエタカOe’tahka山の南にあるハラウォチジHara’woetchijへと向かいました。そこには「選ばれし民」イヒン人が暮らす3つの大都市と12の小さな町がありました。
神の言葉を聞くことができたイヒン人は,ザラツゥストラの来訪を事前に主神から聞いていました。そのため,まだ若いながらもザラツゥストラはイヒン人の司祭となり,7年間,その務めを果たしました。
ザラツゥストラがイヒン人の司祭となってから7年目に入ると,主神が降臨し,ザラツゥストラに山羊の森に帰るように指示しました。
山羊の森に帰ったザラツゥストラは,リスティア人に教えたり,様々な奇跡を見せたりしました。
そして7年目が終わる時,主神エジャはこう言いました。
「ご覧なさい,光の夜明けが来ようとしています!
あなたは母親に自分の民を託しなさい,そうしたら私があなたを生まれた町に案内します」
ザラツゥストラは赤ん坊の頃に母トーチェに連れられて山羊の森に行き,そこで育ったため,自分の生まれ故郷のことを知りませんでした。
ザラツゥストラは主神エジャに聞きました。
「主神よ,私が生まれた町を教えてくれませんか?」
「大きな町ですが,あなたの手で陥落します。なぜならイフアマズダがそこの王に好意を寄せなくなったからです」
ザラツゥストラは自分の庇護下にあった人々を母トーチェに託すと山羊の森を出発し,オアスの町に向かいました。
オアスの町では,よそ者が入城するには秣を献上する習わしがありました。しかしザラツゥストラは秣を持っておらず,門番に入城を拒まれました。
ザラツゥストラは門番に言いました。
「私はこの世界に裸で生まれましたが,オーマズドOrmazdは私にまぐさを求めませんでした。あなたの王は創造主よりも偉大なのでしょうか?」
確かにザラツゥストラの言い様は正しいのかもしれませんが,世俗ではこのような物言いが通用するわけがなく,門番は頑として拒み通しました。
そこでザラツゥストラは次の手として,門番の前で奇跡を見せることにしました。
空からたくさんの果実が降って来て,門番の前に積み上げられました。これを見た門番は恐懼し,ザラツゥストラのことをオアスの王に報告しました。
当時,オアスの王はアシャと言いました。ザラツゥストラが赤ん坊だった頃,その奇跡を目撃したソーチ王の娘婿です。アシャは20年以上前にオアスの町での暴動でソーチ王が殺された後,オアスの町の民に擁立されて即位しました。
アシャはザラツゥストラの話を聞くと,20年前の赤子のことを思い出し,謁見を許しました。
アシャはザラツゥストラと対面すると,ザラツゥストラに神イフアマズダが降臨し,アシャと会話しました。
神イフアマズダはこう言いました。
「ソーチ王の時代に私はあなたをオアスの王にしました。その日から今日まで私のアシャールたちはあなたと共にいて,あなたが昔見た幼児の情報をひそかに探しているのを聞いていました。なぜなら誰もが不滅でいられるか否かは,あなたの判断にかかっているからです。
あなたは今晩,私と一緒にいてください。そうすれば私はソーチ王の精神体をあなたに見せましょう」
20年前にオアスの町で起きた暴動は,神イフアマズダの手によるものでした。ソーチ王は奇跡の子ザラツゥストラを捕える命令をオアスの町全域に布告しましたが,ザラツゥストラを捕縛できなかったため,オアスの町の赤子全員を処刑するという布告を出しました。ところがこの子供にはソーチ王の子供も含まれており,我に返ったソーチ王はこの布告を撤回しようと思いました。ところがこれを娘婿のアシャが,布告を撤回すれば王の権威が失われるので,それならば自分を身代わりに殺してほしいと命を賭して諫めました。しかしソーチ王はそれを聞き入れることができず,この布告を有耶無耶にしようとしました。ところが,この態度に憤慨したオアスの住民はソーチ王を襲撃し殺害してしまいました。
オアスの住民は男気を見せたアシャをオアスの王に擁立し,今日に至りました。
神イフアマズダが「ソーチ王の時代に私はあなたをオアスの王にした」というのはそのことを指しており,アシャ王はそのことで全てを悟り,神イフアマズダの言葉を受け入れるようになりました。

アシャ王はザラツゥストラの支援を約束しました。神イフアマズダはアシャ王にこう言いました。
「王よ,私が次に来るまでの間,あなたに与えた助言を守ってください。なぜならしばしの間,私は森に戻らなければいけないからです。
そのため私にインクと筆,書くための布をください。あと私に2人の下僕を付けてください」
「私をあなたの下僕の一人にしてください。そうしてくだされば,私は王位を放棄します!」
オアスの町を滅ぼすと決めていた神イフアマズダでしたが,アシャ王に対してはこう言いました。
「あなたがいてくれるなら,私はあなたを頼りにします」
アシャ王が在位している間は,オアスの町は滅ぼさないと神イフアマズダは決めたのでした。

壮年期(OAHSPE-20『神の言葉の書』8章~26章)

ザラツゥストラは神イフアマズダと共に世界最初となる聖書を編纂し,長い歳月を掛けてついに完成させると,オアスの町を訪れアシャ王に献呈しました。
アシャ王はそれをパーシー国内に配布し,パーシー国内での戦争の停止を命令した後,約束通り退位しました。後任の王はアシャの知己のヒヤツィンHi’ya’tseingでした。
その後,アシャ王はザラツゥストラの弟子となり,托鉢を持って貧者と共に暮らすと,何千人もの人々がアシャを慕い,ザラツゥストラの信者となりました。

かつてのパーシーの中心都市オアスの王であったアシャが退位してまでザラツゥストラの教義を信奉した影響は非常に大きなものでした。後任のヒヤツィン王はザラツゥストラとアシャを目の敵にして,アシャ王との友誼を捨ててこの二人の捕縛を命じました。
アシャは捕縛され,ヒヤツィン王によって処刑されようとした時,神イフアマズダの力を感じたアシャはこの危機を脱し,山羊の森に辿り着くことができました。この時,オアスの町に滞在していたザラツゥストラの信仰者もアシャに同行しました。

山羊の町ではオアスの町から脱出したザラツゥストラの信仰者もいました。ザラツゥストラは神イフアマズダより次のように言付かりました。
「私の民は邪悪な町から解放されました。私は彼ら1人1人を救出しましたが,彼らは自分に対して,自分の力で,自分の行いでそれを成し遂げました。
オアスから遠く離れた森の奥深くに連れていきなさい。アシャは老人であり,他の誰よりも学んでいるので,アシャこそ彼らの上に君臨するアラバara’baとなるでしょう」(OAHSPE-20『神の言葉の書』18章-2,4)

同時に神イフアマズダはザラツゥストラにこう言いました。
「ザラツゥストラよ,あなたはまだ若く,力強いです。あなたは学があり力強く活力にあふれた50人の男子を民草の中から選びなさい。彼らはあなたの仲間となるでしょう。そうしたらジャフェス,セム,ハムの大都市を訪れなさい。
4年間,あなたは旅をして,ザラツゥストラの法を伝えなさい。しかしそれが終わる頃,あなたはオアスと,私が最初に選んだこの民草のもとに戻りなさい。
その後,アシャと一緒にオアスに行き,あなたはあの町に手を下し,滅ぼしなさい」(OAHSPE-20『神の言葉の書』18章-5,6)

ザラツゥストラは自分の信者をアシャに託すと,ジャフェス,セム,ハムの大都市を巡教する旅に出ました。
途中,ジョブJo’ab平原の町ではツェゴウ王と謁見し,暴虐のツェゴウ王に改心を求めましたが聞き入れられなかったので,ツェゴウ王が手を下した者たちの死者の霊魂を解き放ち,町ごと滅ぼしました。
この後,神イフアマズダはこう言いました。
「定命の者たちの不運は正義を司る神々にとっては幸運なことです。しかし定命の者たちの幸運は悪の神々の栄光となります。
ツェゴウが燃やされ,人々が飢えたからと言って,御父の声がこの場から消えたとは思わないでください。
今こそ彼らは耳を傾けるべきなのです。地上の宝物を失ったからこそ,その心は永遠に続くものを追い求めるべきなのです。
だからこそ行きなさい,ザラツゥストラよ。私はあなたと共に行きます」(OAHSPE-20『神の言葉の書』20章-1,2)

ツェゴウ王は数多くの無辜の人々を殺害してきた暴虐の王でしたが,その町が破壊されたことで多くの人々が困窮に瀕しました。それを神イフアマズダは「正義を司る神々にとっては幸運なこと」と表現しました。
確かに神々から見れば,人間の霊魂は原則不滅であり,闇落ちした霊魂の状態で実体界を暮らすよりは新しくやり直せばよいという発想になるのは当然の帰結なのだと思います。しかし実体界で暮らす人間の立場として,ザラツゥストラはそれが苦痛に感じていました。
しかし世界に蔓延る悪逆を掃討しなければならないという使命の必要性も感じていました。

アヴォーサAboathaの王国にあるネキロNe’ki’roの町でアヴォーサ王に謁見した時は,アヴォーサ王を一度殺した状態で蘇生しました。アヴォーサ王は改心し,ザラツゥストラの熱烈な信者となりました。
その後,セムの諸国を巡教した後,ハム(アラビア)に移動し,最後にパーシーに戻り,そこで7つの町と7つの大王国を滅ぼしました。
ザラツゥストラは4年間でジャフェス,セム,ハム,パーシーの順に巡教し,暴威を奮った悪逆の町や王国を滅ぼしたり改心させていったのですが,この4年間はザラツゥストラにとって心傷まない日はないぐらい,苦痛の日々でした。
そしてこの巡教の最後となる生まれ故郷のオアスの町へと向かうのでした。

死(OAHSPE-20『神の言葉の書』27章~30章)

ザラツゥストラが巡教の旅に出ていた4年間,パーシーの中心都市であったオアスの町は衰退の一途を辿っていました。理由はザラツゥストラの信仰者が増えたことにより,オアス王に貢納する町が減っていったからです。
このため当時,オアスの町を統治していたポニャ王はザラツゥストラを目の敵にしており,この4年間,ザラツゥストラの追跡をしていましたが,その行方を掴むことはできずにいました。
その一方でポニャ王はザラツゥストラの信者を率いるアシャの一味に対しても迫害の手を緩めずにいました。アシャはザラツゥストラの信者を連れて未開の地への逃亡を余儀なくされていました。
こうした状況の中でザラツゥストラはパーシーに戻り,7つの町と7つの大王国を滅ぼした後,最後の町オアスの救済へと向かうため,山羊の森で細々と暮らすアシャの下に立ち寄ったのでした。
ザラツゥストラはまだ働き盛りの40代でしたが,オアスの町で最後の使命を果たしたら,この生涯に終止符を打つと決めていました。
この最後の晩餐の時にザラツゥストラが語ったと思われる言葉が,現在のゾロアスター教の聖典『アヴェスタ』にのこされています。

「ザラスシュトラは自分自身の命をも,贈り物として,
善思と行と語の優越性を,従順と支配力を,
マズダーとアシャに捧げます」
『アヴェスタ』ヤスナ第33章 14節

神イフアマズダの力を借りれば,ザラツゥストラは自分の死を回避できました。しかしこの4年間の巡教で,ザラツゥストラの心は疲弊していました。直接的ではないにしても,多くの町を滅ぼし,人々を死に追いやったのです。
神の意志があったとはいえ,これ以上は心が耐えられませんでした。
ザラツゥストラは最後の町オアスでの死を望んでいました。
この最後の奉仕で,今まで自分が為してきた善行,言葉,従順さ,支配といったものを遺し,有終の美を飾ることが,この時のザラツゥストラの覚悟でした。

ザラツゥストラはアシャを連れてオアスの町に行きました。この町では既にザラツゥストラは指名手配されており,城内に入る前に捕縛されました。
この時,先々代の王でもあったアシャは助命され,解放されましたが,ザラツゥストラだけは許されず,処刑されました。
この直後,天から一筋の光が降り注ぎ,町を破壊しました。群衆は神の怒りに触れたことにおののき,ザラツゥストラを処刑したポニャ王を殺害しました。
時に,上天より神フラガパッティが地球に降臨しており,ザラツゥストラの死の様子を見守っていました。ザラツゥストラは死から3日間,アシャを始めとする信者とサルギスの姿で会話した後,4日目に神フラガパッティの手により昇天しました。

年表

年齢略歴
0歳母トーチェ,父ローブの子としてオアスの町で誕生。
奇跡の子として知られる。オアスのソーチ王から捕縛の命が出され,山羊の森に逃れ,リスティア人の庇護を受ける
6歳頃主神エジャEjahが顕現し,様々な叡智を習得する。
18歳頃イヒン人の町に行き,司祭となる
25歳頃山羊の森に戻った後,オアスの町に行き,アシャ王に謁見。
その後,世界最初の聖書を神イフアマズダと共に編纂開始。
35歳頃聖書が完成し,アシャ王に献呈。
アシャ王はパーシー国内に流布した後,退位し,ザラツゥストラの弟子となり托鉢を持って貧者と暮らす修行の旅に出る。
36歳頃アシャの修行の旅が終わる頃,オアスのヒヤツィン王がアシャを捕縛し処刑を試みる。
ザラツゥストラと神イフアマズダはオアスの町を訪れ,アシャを救出する。
37~40歳頃ジャフェス,ハム,セムの大都市に巡教の旅に出る。
40歳頃オアスの町に戻るが,そこで捕縛され処刑される。
ザラツゥストラの処刑後,オアスの町で大規模な反乱が起き,時のオアス王ポニャは横死を遂げる。


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