【OAHSPE考察】パン大陸水没後,日本に上陸したイヒン達の動向について

パン大陸の水没後,イヒン達はどこに向かったのか?

 今から約24000年前,「ワガ(Waga)」(またの名を「パン(Pan)」)と呼ばれた大陸が水没しました。
 地球には,神や主神の声を聞くことができたイヒン族がいましたが,人間同士の争いの末,ワガ(パン)大陸以外にイヒン族の生き残りはいなくなり,僅かにワガ(パン)大陸に生き残っていたイヒン族は山や谷で暮らしていたと言います。(OAHSPE「主神の第1の書」1章-25,32)
 この時,イヒン達に船を建造するようにとの主神のお告げがあり,山や谷に隠れていたイヒン達は船を建造し待機しました。建造された船は138艘あったと言います。(OAHSPE「主神の第1の書」1章-38,39)
 やがて大洪水の日,イヒン達は主神のお告げに従い船に乗り込んだところ,山や谷で建造された船は洪水によって陸地が沈んだ後,水に浮かび,事なきを得たと言います。(OAHSPE「主神の第1の書」1章-41,42)
 船は34艘ずつに分かれて東西南北にそれぞれ散らばりました。しかし34艘4グループだと136艘となり,残り2艘が足りません。この2艘は途中でこの船団と引き離され,北に向かいました。(OAHSPE「アフの書」7章-7,8)
 ここで「主神の第1の書」と「アフの書」で情報の不整合があるので,整理します。

  1. 「主神の第1の書」では,4つのグループに分けられた船団に「グアタマ(Guatama)」「ジャフェス(Jaffeth)」「ハム(Ham)」「イスタ(Yista)」の名前が付けられたとあります。「イスタ(Yista)」は後の日本を指しています。(OAHSPE「主神の第1の書」1章-55)
    しかし「アフの書」では4つの船団とは別に,余った2艘を他の船団から引き離して北に向かわせたとあります(OAHSPE「アフの書」7章-8)
    つまり日本に上陸したのは,4つの船団とは別に余った2艘だけであり,北に向かった船団は日本には上陸していません。仮に「イスタ」と呼ばれた船団を指すのであれば,それはこの2艘だけとなります。
    ちなみにこの2艘が上陸した「イスタ」の地は,ワガ語でザパン(Zha’Pan),パン大陸の残滓という意味の名前が付けられました。後の日本(Japan)です。
  2. 34艘に分かれた船団のうち,北と西に向かった船団はジャフェスと呼ばれ,この船団が上陸した国は現在の中国(チャイナ(Chine’ya))になります。(OAHSPE「主神の第1の書」1章-58)
  3. 東に向かった船団は「グアタマ」と呼ばれました。特に現在の国名はありませんが,アメリカ大陸であったことは疑いありません。
  4. 南西に向かった船団は「ハム」と呼ばれ,この船団が上陸した国は現在のエジプトやアフリカと呼ばれています。(OAHSPE「主神の第1の書」1章-60)
  5. 南に向かった船団は「セム(Shem)」と呼ばれ,この船団が上陸した国は現在のインド(ビンドゥ(Vindyu))になります。(OAHSPE「主神の第1の書」1章-59)
    セムは最初の船団に名前はありませんでした。このことから推測すると,「セム」に上陸した船団は最初,イスタと呼ばれた2艘とともに航行していましたが,途中ではぐれ,インドに上陸したのだと思われます。

 ワガ(パン)大陸の水没後,138艘の船は当初,イスタ船団(36艘),ジャフェス船団(34艘),グアタマ船団(34艘),ハム船団(34艘)で航行していましたが,途中でイスタ船団は2艘と34艘にはぐれてしまい,最終的には日本に2艘,印度に34艘,中国に34艘,アメリカに34艘,アフリカに34艘が上陸したことになります。

図:ワガ(パン)大陸水没後のイヒン達の航路

2万4000年前の日本

 2万4000年前の日本は旧石器時代に当たり,北は北海道から,南は沖縄まで数多くの遺跡が存在しています。『日本列島の旧石器時代遺跡 ―日本旧石器(先土器・岩宿)時代遺跡のデータベース―』(日本旧石器学会)に収録されている「旧石器時代と縄文時代草創期の遺跡数 Numbers of sites belonging to the Palaeolithic and Incipient Jomon Periods」により,旧石器時代の遺跡数と,縄文時代草創期の遺跡数を比較してみると,以下のことが分かります。

(凡例:灰色:1~99,水色:100~299,黄緑:300~499,赤:500~)
(参考文献:『日本列島の旧石器時代遺跡 ―日本旧石器(先土器・岩宿)時代遺跡のデータベース―』日本旧石器学会
 データ:日本旧石器学会「データベース『日本列島の旧石器時代遺跡』」)

 旧石器時代の遺跡数は,日本列島では関東,信越,東海,九州に集中していました。ところが旧石器時代から縄文時代に入ると全体的に遺跡数が激減しています。「OHASPE」では,日本列島は水没したワガ(パン)大陸の一部であったと言います。当時,日本列島全土にわたって人間が暮らしていましたが,「OHASPE」に記されているように,2万4000年前にワガ(パン)大陸が水没したとすると,人間がほとんど住まなくなった北海道,東北(特に日本海側),中国地方,九州で大規模な災害等が発生した可能性があります。

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