時間軸における生と死について
『OAHSPE』によれば,この世界は「効力を持つ不可視の世界(エスの世界)」と「効力を持たない可視の世界(コーポ界)」に分かれていると言います。(OAHSPE「ジェホヴィの書」1章-5)
ここで便宜上,コーポ界を「実数世界」,エスの世界を「虚数世界」と呼ぶことにします。
実数世界(コーポ界)では始まり(生)と終わり(死)があり,終わり(死)は再生の始まりとなっています。
ここでの死(終わり)とは,実数世界(コーポ界)の終着点を意味していますが,実は霊魂としてはそこで終わりではなく,一度,虚数世界(エスの世界)に戻ります。その後,時間をおいてから実数世界(コーポ界)に生まれ変わります。
※『OAHSPE』では,死を「復活の果実」と表現しています。(OAHSPE「セタンテスの書」3章-3,4,5)
人間が肉体(コーポ界)的に死亡すると,アシャール(守護天使)によって霊魂が取り出され,アサフ(天使)によってエーテリア界へと送られます。そして最初の5年間は「生まれたての霊魂」という意味のエスヤンとなります。(OAHSPE『アフの書』9章-3)
エーテリア界では,霊魂は労働に従事し,復活の時を待ちます。
グラフでは,実数世界(コーポ界)を「肉体の活力」という視点で表現しています。
まず生まれたばかりの赤ん坊の時はまだ肉体や知識が足りていないため十分に働けません。そのためグラフ上,右上がりとなっています。
やがて成人を迎える頃には肉体,知識がともに整い,働き盛りとなります。グラフではピークのあたりになります。
ところが死が近づくにつれて肉体は衰え,満足に働けなくなります。グラフでは右下がりの線で表現しています。
これが実数世界(コーポ界)のグラフとなります。
一方,死亡後の世界(虚数世界(エスの世界))については「霊魂の労働力」で表現しています。
死亡直後(エスヤン)の頃は,霊魂はエーテリア界の生活に馴染めていないため十分に働けません。グラフでは右下がりの線で表現しています。
やがてエーテリア界の生活に慣れてくると十分に働くことができ,働き盛りとなります。グラフではピークのあたりになります。
しかし復活の時が近づくと今度はその準備に取り掛かるため,労働力が落ちてきます。グラフでは右上がりの線で表現しています。
これが実数世界(コーポ界)のグラフとなります。
こうして,生と死,そして復活が繰り返されます。
無限時間における「時間の概念」について
実数世界(コーポ界)では,時間は有限です。なぜならば,生(始まり)と死(終わり)があるからです。そのため実数世界(コーポ界)では時間軸での管理が重要になってきますが,虚数世界(エスの世界)では,そもそも「復活」という概念がなければ時間は永遠に続くため,ある意味,時間は無限です。
さて,時間が無限の虚数世界(エスの世界)で,仮に「永遠に働き続けなさい」と言われたら,果たしてそこにどういう意味を見つければよいのでしょうか?
ただ働くだけであれば,無限の時間に意味などないからです。
昔,不老不死を求めた人がいましたよね。
本当に不老不死になったら,その人にとって「生きる」とはどういう意味になるのだろう?
時間が停まっている感覚と同じかも。
だって,昨日も今日も明日も,その人にとって何も変わらないのですから。
無限の時間とは,変化がなければ「停止した時間」とある意味同じです。そのため無限の時間を持つ虚数世界(エスの世界)では,時間軸の管理はあまり意味がありません。
『OAHSPE』によれば,神々は無限の時間では時間軸よりも「成熟度」の方を重視しているようです。(OAHSPE「アポロの書」1章-4)
これは,無限の時間では,時間の経過とともにどれだけ成長したのか(=成熟度)が重要になってくることを意味しています。何も成長しなければ時間は停止しているのと同じです。しかし少しずつでも成長しているのであれば,それは時間(=成熟度)が緩やかでも進んでいることになるからです。
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