倭国の歴史

かつて日本が倭国と呼ばれていた時代--。
倭国は「兄が傀儡,弟が実権を握る」という兄弟統治を敷いていました。これは内乱の火種となりうる,他に類を見ない王制であり,倭国の内政は極めて不安定な状況にありました。

やがて日本国が誕生し,兄弟統治に終止符を打った後,日本国はは二度と兄弟統治を復活させないため,『日本書紀』『古事記』といった歴史書からその痕跡を消しました。
当時としてはその政治的目的も理解できます。しかし『日本書紀』が舎人親王の監修のもと720年に撰定されてから1300年が経つ現在,祖先のルーツを見直すためにも,失われた倭国の歴史を復元することを本サイトでは試みています。

倭国の歴史(考察)

[考察]日本国と倭国について

7世紀,倭国とは別に日本国が誕生し,700年に倭国は滅亡しました。その経緯について概略を記しました。
倭国の歴史(編年体)

429年:倭王珍(反正天皇)即位

429年,倭王珍(反正天皇)が即位しました。反正天皇の即位年について考察します。
倭国の歴史(編年体)

417年?:倭・仁徳天皇崩御

417年,仁徳天皇が崩御しました。その在位年数は僅か5年と短かったものの,後世では『聖帝』と讃えられています。その謎について解説します。
倭国の歴史(編年体)

409年?:倭・応神天皇崩御

高句麗・広開土王と百済,新羅を巡り,何度も激戦を繰り広げた応神天皇は,409年頃に崩御されたと考えています。その理由について解説します。
倭国の歴史(編年体)

425年:倭讃,南宋に遣使(2回目)

425年,倭国の讃は南宋に2度目の遣使を行いました。ここでは讃の狙いと,この遣使が引き起こした事態について解説します。
倭国の歴史(編年体)

421年:倭,南宋に遣使

421年に倭は南宋に遣使します。倭にとって8年ぶりの遣使の背景には,東晋の滅亡と南宋の建国がありました。その背景と,倭王讃について解説します。
倭国の歴史(考察)

[考察]埼玉古墳群・稲荷山古墳出土の鉄剣銘文から分かること

稲荷山古墳出土の鉄剣銘文の記述をもとに,稲荷山古墳の築造背景や被葬者の略歴を考察。
倭国の歴史(編年体)

[編年体]倭国の歴史

倭国の歴史を編年体風にまとめています。
倭国の歴史(編年体)

425年:新羅王子・未斯欣の倭国逃亡

新羅王子,未斯欣(または美海)は,倭国に人質に出された後,新羅に逃げ帰っています。逃亡した年は『三国史記』と『三国遺事』ではそれぞれ異なっているため,それについて考察していきます。
倭国の歴史(編年体)

417年:新羅・実聖尼師今の謀殺

417年,親高句麗派の新羅・実聖尼師今が謀殺されました。高句麗の後押しで即位した実聖王を殺害すれば,高句麗と戦争になることが分かっていながら,それに踏み切ったことも併せて解説します。