倭国の歴史(考察)

倭国の歴史(考察)

[考察]日本国と倭国について

7世紀,倭国とは別に日本国が誕生し,700年に倭国は滅亡しました。その経緯について概略を記しました。
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[考察]埼玉古墳群・稲荷山古墳出土の鉄剣銘文から分かること

稲荷山古墳出土の鉄剣銘文の記述をもとに,稲荷山古墳の築造背景や被葬者の略歴を考察。
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[考察]倭の五王の1人,倭王珍の事績について

5世紀に南朝宋に遣使した5人の倭王の1人,倭王珍は第18代・反正天皇に比定されています。その在位期間は14年と長いものの,その皇統は断絶しています。倭王珍の事績について解説します。
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任那滅亡とその後の混乱について

任那は弁辰と呼ばれた時代から倭国と親交がありましたが,562年に新羅によって滅ぼされました。任那滅亡に至るまでの過程を解説します。
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554年に戦死した百済・聖明王は何故僅かな手勢で戦場に向かったのか?

554年,百済・聖明王は少ない手勢で新羅との戦闘状態になり,戦死しました。聖明王が少ない手勢で新羅と戦う羽目になった理由について解説します。
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[考察]任那滅亡の遠因について

辛亥の変(531),加羅が滅亡したことにより任那は滅亡の危機に瀕しました。この時,倭国,百済,任那は対応策を協議しましたが,それが任那滅亡に追い打ちをかけることになりました。ここではその理由について考察します。
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[考察]加羅の滅亡について

朝鮮半島南部に位置する加羅がどのような経緯で滅亡したのかを解説します。
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[考察]継体天皇が任那4県を百済に割譲した原因と結果について

512年,倭国は百済武寧王の要求により任那4県を割譲します。後にこの決断は任那失陥の原因の一つとなるわけですが,倭国がどういう事情でこのことを決断し,どのような結末を迎えたのかについて解説します。
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[考察]継体天皇の即位について

継体天皇は武烈天皇の崩御後に即位したと『日本書紀』に記されていますが,隅田八幡宮人物鏡の銘文との齟齬や,倭国の重鎮に迎えられる際の極度の警戒など,辻褄が合わない箇所が多々あります。本サイトでは継体天皇の即位に関する謎について解説します。
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百済・東城王の死と武寧王の即位,倭国との再同盟について

475年,百済は滅亡し,慕韓(馬韓)の土地に再興しましたが,その領土は狭小でした。しかし東城王は倭国と敵対して慕韓を接収し百済の版図を拡大すると,次代の武寧王にその遺産は引き継がれました。武寧王は倭国との関係を改善し,百済の最盛期を迎えるわけですが,ここではその過程について解説します。