倭国の歴史(編年体)

倭国の歴史(編年体)

429年:倭王珍(反正天皇)即位

429年,倭王珍(反正天皇)が即位しました。反正天皇の即位年について考察します。
倭国の歴史(編年体)

417年?:倭・仁徳天皇崩御

417年,仁徳天皇が崩御しました。その在位年数は僅か5年と短かったものの,後世では『聖帝』と讃えられています。その謎について解説します。
倭国の歴史(編年体)

409年?:倭・応神天皇崩御

高句麗・広開土王と百済,新羅を巡り,何度も激戦を繰り広げた応神天皇は,409年頃に崩御されたと考えています。その理由について解説します。
倭国の歴史(編年体)

425年:倭讃,南宋に遣使(2回目)

425年,倭国の讃は南宋に2度目の遣使を行いました。ここでは讃の狙いと,この遣使が引き起こした事態について解説します。
倭国の歴史(編年体)

421年:倭,南宋に遣使

421年に倭は南宋に遣使します。倭にとって8年ぶりの遣使の背景には,東晋の滅亡と南宋の建国がありました。その背景と,倭王讃について解説します。
倭国の歴史(編年体)

[編年体]倭国の歴史

倭国の歴史を編年体風にまとめています。
倭国の歴史(編年体)

425年:新羅王子・未斯欣の倭国逃亡

新羅王子,未斯欣(または美海)は,倭国に人質に出された後,新羅に逃げ帰っています。逃亡した年は『三国史記』と『三国遺事』ではそれぞれ異なっているため,それについて考察していきます。
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417年:新羅・実聖尼師今の謀殺

417年,親高句麗派の新羅・実聖尼師今が謀殺されました。高句麗の後押しで即位した実聖王を殺害すれば,高句麗と戦争になることが分かっていながら,それに踏み切ったことも併せて解説します。
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413年:倭国,高句麗が東晋に遣使

413年,倭国は高句麗と揃って東晋に遣使しました。戦争状態にあるこの2つの国が揃って遣使したのはどういった理由について考察していきます。